「海辺のカフカ」を読み終えた。
読んでいる間、色々な感情、考えが湧き起こっては消えていった。
私は影響を受けやすい人間なのかもしれない。今までものを見聞きするときに適用してきた価値観を適用して「異質」だと感じられるものに出会ったとき、私は動揺し、自分の前に姿を現したその「異質」なものの意味について、しっくりくるまで考える。
その間、自分がなんとなく抱いてきた価値観、信じるものの意味が揺さぶられる感じがして、いささか苦しい。
ひとは何かを無視しなければ生きることができない。
何かを無視することによって、ひとは生きていると思う。
そうやって、成り立っていると思う。
結論めいたものがあっても、それが結論かどうかはわからないし、その結論らしき部分とは矛盾するような別の結論らしきものが出てきたりして、何故か不安にさせられた。 それと同時に、本来あらゆるものごとは必ず矛盾をはらんでいるものだし、一人の人間の中にも、矛盾している部分なんていくらでもあるはずだ、と思う。結論なんて、ないよ、と。そして、そう考えると、何と何が矛盾しているのかということさえも、よくわからなくなってくる。
何かしらの「結論」を求めようとすることが、知らず知らずのうちに自分の習慣となっていたということに気づく。
結論があったら、生きている意味なんてないのかもしれない。
結論がないから、生きているのかもしれない。
言葉によって何かを伝えているという立場にありながら、小説という手段は、限りなく中立的な立場にいることができるのだと思う。「海辺のカフカ」を読みながら、そんな風に思った。
深いなぁ~これも難しい(><)結論があったら、生きている意味なんてないのかもしれない っていうことに関しては考え方によっては賛同できるな。人は日々の生活の中で何かについて必ず疑問ってあるはず。これは簡単な話だけど、それについて調べたり、学習したりして疑問解決とスキルアップ、そして新しい疑問への挑戦って循環が成り立ってるみたいな。
返信削除それは勉強に限らず、様々な方面での結論らしきものがあるから、いろんな結論の中で矛盾ってどうしても起こってしまうのかなって思った。
これも、人って面白いって感じじゃないっすか??^^