2009年3月15日日曜日

タイトルなんてわかんない

ときどき、人間ってものが、どうしようもなく愛おしく感じる。

またこれどこ行くかわかんないなー…笑

今日は母校の高校に行った。

都立高校だったのだけれど、中等一貫の区立になるのだ。

今日(14日)で、母校は閉校となる、ということに事実上なっている。

久しぶりに友達に会った。

久しぶりに高1のときの担任の先生に会った。

先生は、3年で担任をしていたクラスの、私たちと同じ学年の生徒が亡くなったことについて話してくれた。
(同じ学年の誰かが亡くなったということは、風の噂で聞いていた。)

あんまりよく、わからない。

同じ学年の子が亡くなったって、何なのだろう。

うまく焦点が合わない、感じ。

先生は卒業アルバムを見ながら話してくれた。(もちろん、私も持っているそれ。)
私はおそらくその子と話をしたことがなかったと思う。

写真を見ても、その子がもうこの世にいないなんてことは、よく、わからない。

私にはまだたぶん、死というものがよくわからない。

亡くなったということばは、私の口から、どこか知らない宙へ行ってしまう。

今日は長くこの母校に勤務されていた先生が、つい最近亡くなったという話も、私たちはその前にしていたのだった。

授業を受けたこともあった、その先生。

話をしていて、先生の顔が浮かんだ。

先生が亡くなられたときも、お通夜や告別式などの、メールが回ってきた。

なのに私は、やっぱりよくわからない、と今日も思った。

冷静に。

冷たいのかな、と自分を見ている自分。

ほんとに、亡くなったひとは、亡くなったのだろうかという気分になってくる。



先生は、その亡くなった子の話の後、今日私たちと元気な顔で会えてよかった、これから働くのに体に気をつけてというようなことを、私たちに言ってくれた。

握手した先生の手は温かかった。



先生て、どんな気分だろうな。



真っ正面から、否応なく、ひと対ひと。
可能性と悩みと、疑いようのないエネルギーのかたまりたちと毎日対峙していく。

教えるより教わることの方が多いような気がする。


        * * *


今日、久しぶりに会った友達が、話してくれた自分の家庭のこと。

この春両親が離婚して、母親と二人暮らしになること。

そして離婚することは、彼女が中学のときに告げられ、彼女が大きくなるまでは離婚しないと、母親が涙ながらに彼女に語ったということ。

彼女が一人っ子で、お母さんと仲が良いということは、知っていた。
彼女もよくお母さんの話をしていたから。

明るくて頑張り屋で几帳面。

会話のない両親と過ごした時間、冷えた会話が、彼女の眠る部屋で聞こえてしまったとき、
どんな気持ちだっただろう。

愛していないひととともに暮らすというのは、どんなことなんだろう。

今はこうして言えるけれど、前はひとに言えなかったと彼女は言った。
そんなことを抱えていたなんて、全く知らなかった。


これからまた新しい環境で、
明るくて楽しい、本当にしっかり者の彼女が、
お母さんと一緒に、いろんな喜びを、共有していってほしいと、思う。



どうして、降りかかる現実は、ファンタジーの世界よりずっと困難なのか。

どうして、ひとは強くなれるのか。

どうして、ひとはこんなに愛おしいのか。



生きていること、好きであること、大切だと思うこと。

そういうことに、何故かすごく、
「ありがとう」と言いたい。

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