昨日(正確にはすでに一昨日)、以前このブログでも書いたアートチーム・ピエロの筆と、Blue Birdsで立ち上がりつつある新企画に向けてのMTGを行った。
私が企画の意図として主張したことは、「普通のこと」だと言われた。マイナスの意味でだ。(少なくとも私はマイナスの意味として受けとった。)
確かに、そうかもしれない。
でも、私は、それを今だからこそ言わなければいけないのではないか、と思っていた。
本当に「普通」のこととして、現実に共有されていることなのか、という疑問がわいた。
それは、「自分という存在がかけがえのないものであるということを認めることで、他人という存在も同じようにかけがえのないものであるということを認める、ということ。」
「表現活動は、自分独自の価値観でいい、という思いを育てるのに、役立つのではないか」
すごく平たく言えばそんな感じだ。
確かに、そういうことを言う大人はたくさんいるように感じる。
環境問題なんかと同じように、きれいごとの謳い文句のような位置にあるかもしれない。
「心に響かない、届かないことば」のひとつになってしまっているかもしれない。
それは十分にわかっている。
でも、このような言葉を全面に押し出そうと考えていたわけでは決してない。
そんなことを全面に押し出されたらどん引きだってわかっている。
自分がもしそれを言われる立場だったら、「何、この人」と思うかもしれない。
要は、それをどう体をもって示せるのか、ということだろう。
ピエロのみんなが言うことは、いつもすごく腑に落ちる。
考えていることは、すごく似ていると思う。
彼らと自分の違いは、それを体現しているかどうかというところだ。
ピエロのみんなは、確実に体現している。
彼らの存在であったり、人間性であったりは、彼らのことばとなんら矛盾するものがない。
だからであろう。彼らのことばすっと聞いている人の体に入ってくる気がする。
ああ、書くと整理される。
もやもやとしたものが、なんとなく、クリアーになってくる。
私は、あまり人を嫌いにならない。そして、根拠があって批判するのとは違う、人の悪口は嫌いだ。
どの人も、それぞれ面白いし、すてきだと思うからだ。
「あの人は嫌だ」とか「うざい」とか、冗談じゃない感じで言ったり、そんなにはっきりではなくても、人のことを馬鹿にしたり、明らかに奇異な目で見たり、という人を見ると、何故そんなに簡単に人のことを侮蔑したりできるのだろう、と思い、悲しくなったりする。
好きなものを好き、楽しいものを楽しい、美しいものを美しい、悲しいことを悲しい、苦しいことを苦しいって言って生きていれば、いいじゃん。何で他人のことがそんなに気になるの、と思うのだ。
私はそういうことが目についてしまう。
でも、そういう「みんな違ってみんないい」みたいなことを言うのは、嘘つきで、自分の意見がなくて、八方美人だと思う人が多いのだろうな、と思う。
だけど、私は本気でそう思う。というか、そういう風にしか思えない。
ああ、何だかまたそれてきた…
桜がきれいに咲いているのを見るその瞬間は、無心になれる気がして、心がふっと楽になる。
今日のブログは、自分なりに、少しだけ牙をむいてみたつもりだ。
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