高校生のとき、自分が大学で学びたいことは何か考えていた。
そして漠然と出した答えは二つ、「芸術」か「国際協力」。
「芸術」は、実践するのではなく、詳しく学んでみたいと思っていた。絵や音楽を、鑑賞するのが好きだったからだ。
「国際協力」は、自分が毎日平々凡々とした生活を送っている一方で、戦争や貧困に苦しむ人びとがいるのは何故なのか、どうしてそのような状況があるのかということを、知りたかった。
私は二つを自分の中にある天秤にかけ、後者を選んだ。
国際政治を学べば、そういうことがわかるのかな…と考え、国際政治学を専攻した。
高校生のときは、本当に単純に、このようなことを考え、このような道を選んだのだ。
大学に入って、講義を受けたり、本を読んだり、イベントや講演会に出かけてみて、物事の善し悪しというのは、単純ではないのだということを、だんだん感じるようになった。
この世界の構造に対して、日本という国の、東京という大都市に生まれ育った私は、どうすることが正しいのか、何ができるのか。
東京生まれ東京育ちの私は、完全に、資本主義にどっぷり浸かり、生きているだけで、誰かから何かを奪っているのだと思った。
自分が生きるために必要なもの。資源や食糧。
学べば学ぶほど、考えれば考えるほど、本当にわからなくて、苦悩した。
自分の進路も、わからなくなった。志すべき方向が、わからなくなった。
そのうち、自分の生きる意味を問うようになった。毎日毎日、考え続けた。
今もその明確な答えはわからない。
でも、なんとなく、わかったこともある。
私は、子どもと自然とアート、そして、異文化が好きなのだ、ということ。
好きだから、感じたい、好きだから、まもりたい。
人助けとか、社会貢献とかがしたいというのではない。
変な言い方をすれば、むしろ自分を救いたいのだ、と思う。
それらと関わることによって、自分の欲望を満たしたいというだけのこと。
よく、発展途上国と呼ばれる国に行って、子どもたちと交流して、子どもたちは貧しいけれど笑顔が可愛くて、元気をもらった、とかいう感想を聞くけれど、正にそれ、だと思う。
何が人の役に立つ、何が人のためになる、という観点が、一番大切なのだから、それをわきまえなければならない、と思っていた。
国際協力に携わるための、論理的な根拠が必要だと思っていた。
でも、それを考え出しても、わからなくて、自分にできることの答えが見つからなかった。
私は、ただ単純に、自分の好きなものと関わっていたいし、自分の好きなものをまもる一員になりたいのだ、と思った。自分本位のエゴである。
自分の美意識に合った世界をつくりたいし、関わりたい、というエゴなのだ。
これは、国際協力に携わる、不純な動機なのだろうか。
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