音楽が大好きだ。
よく、よく、私の人生を振り返ってみると、私という人間は、「表現」にかかわることが、好きみたいだ。
小学校5年のとき、学芸会の劇で、主役級の役はオーディションがあった。私は受けたけど、結果希望の役にはなれなかった。
そのころ、管楽器クラブというのに入ってて、毎朝練習してた。私はフルートだった。
中学でも、引き続き音楽部に入部して、毎日フルートを吹いてた。合唱コンクールの練習も好きだった。
コース制で文系のコースは数学を一年で終えられること(数学から逃げたかったから)、そして体育祭が本当にかっこよかったことで入学を決めた高校は、部活をまわって先輩のかっこよさに惹かれてダンス部に入った。汗をだらだらかきまくって柔道場や剣道場や廊下で練習した。体育祭は応援団に入って声を枯らしてた。高校3年の文化祭は部活を引退して、クラスの劇でミュージカル「レ・ミゼラブル」で、男性役をやって歌った。実際受験勉強はその合間だったかなあ。ほぼ全エネルギーを体育祭と文化祭に注いだ最終学年だった。
常に表現することを、そういう場を、求めていた気がする。
この前、大学院の友人Jくんの主催するライブに、Blue Birdsとして出てお話させてもらったとき、久しぶりに、人前に出た。本当に久しぶりだったと思う。
舞台というものに出たことが、久しぶりの感覚だった。
なんだか、どきどきした。忘れかけていた高揚感のようなものが、自分の体に蘇ってきたような気がした。
あがり症で、心臓どきどき、手汗ぐしょぐしょ、のくせに、人に何かを伝えるということ、表現するということを、自分は求めているのかもしれない、と思った。
大学院で、前期TAをさせてもらった授業の先生が、授業で紹介していた詩。私の好きな詩。
自分の感受性くらい
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
(水内喜久雄選・著『茨木のり子詩集 落ちこぼれ』理論社、2004より)
すてき。
自分が、正しいと感じること、心地よいと感じること、何かおかしいと感じること。
そういう感受性を、自分で守っていくんだ。
この詩、ほんとうにこころに沁みます。
返信削除自分の感受性くらい
自分で守れ
自分よ!!
>のんさん
返信削除コメントありがとう(^^)
茨木さんの詩、本当に良いよねえ。
ぐっときちゃうよね!