2009年8月18日火曜日

根無し草

あたしは一生根無し草なんだろうか、と思うと、ときどきどうしようもない孤独感に苛まれる。

コミュニティーが崩壊して、人と人との関係が希薄になった現代、あたしと同じような感覚を持つひとは意外と多いのではないかと、思う。

一昨年、あたしの祖父母の中で唯一存命であった母方のおばあちゃんが亡くなって、あたしの根無し草感はすごく高まった。
脳梗塞で倒れて入退院やホーム通いをするようになるまでは、近くに住んでいたおばあちゃん。

おばあちゃんがいなくなったことで、あたしの中にあった大きな柱のようなものがなくなって、ときどき空虚な感覚が襲ってくるようになった気がする。
あたしは一人で、死ぬのも一人で、孤独なんだという、感覚。

おばあちゃんは自分にとって、絶対的な存在だったのだ、と思った。
心から信頼できる人。
無条件に自分を受け入れてくれる人。


おばあちゃんの死は、ある程度の年齢になって、初めて実感した人の死というものだった。



柱は大きかったのだ。


今、あたしの心の中の安息は、どこか欠けている気がする。

おばあちゃんに、きちんと恩返ししただろうか。
そんなことを考えると、自信がない。

心の中で、思うしかない。
ありがとう、と言うしかない。

人の存在とは、それだけ大きいのだろう。



おばあちゃんは、親とはまた違う気がする。

長い人生経験を重ねた人の持つ達観があるし、
何の利害もなく無条件に受け入れてくれる存在に思えた。
まあ、ただ親と違って、怒られなかった、ということもあるかもしれないけれど。


あたしは何で「根無し草感」を抱いているのだろう。

家族はちゃんといるけれど、確かに親戚はそんなに多くないし、そんなに頻繁にも会わない。


根無し草の孤独感は、きっと解消されるものではない。そんな気がする。


根無し草は根無し草なりに、
自分でどこかに場所を見つけて、
ちゃんと根を張って生きていかないといけないのだろう。

今は綿毛か何かのごとく、
浮遊しているのがあたしなんだ。



孤独とはうまく付き合いたい。


歳をとること、死を迎えること。

そういう宿命と表裏一体の、生。


人間は孤独だけれど、同じ孤独を背負った多くの他者の生と触れ合って、
泣いたり笑ったり感動したりしながら、
一生を過ごしていくんだろうな。


あたしは、どんな道を歩むのだろう。

根無し草の孤独感も
人と触れ合っている間は
しばし忘れることができる気がする。

自分にある冷酷な部分もわかっているつもりだけれど、
それでも
触れ合う人を大切にする努力をしたい。

その力量を、つけられるようにしたい。

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