2009年8月28日金曜日

感受性

音楽が大好きだ。

よく、よく、私の人生を振り返ってみると、私という人間は、「表現」にかかわることが、好きみたいだ。


小学校5年のとき、学芸会の劇で、主役級の役はオーディションがあった。私は受けたけど、結果希望の役にはなれなかった。

そのころ、管楽器クラブというのに入ってて、毎朝練習してた。私はフルートだった。

中学でも、引き続き音楽部に入部して、毎日フルートを吹いてた。合唱コンクールの練習も好きだった。

コース制で文系のコースは数学を一年で終えられること(数学から逃げたかったから)、そして体育祭が本当にかっこよかったことで入学を決めた高校は、部活をまわって先輩のかっこよさに惹かれてダンス部に入った。汗をだらだらかきまくって柔道場や剣道場や廊下で練習した。体育祭は応援団に入って声を枯らしてた。高校3年の文化祭は部活を引退して、クラスの劇でミュージカル「レ・ミゼラブル」で、男性役をやって歌った。実際受験勉強はその合間だったかなあ。ほぼ全エネルギーを体育祭と文化祭に注いだ最終学年だった。

常に表現することを、そういう場を、求めていた気がする。

この前、大学院の友人Jくんの主催するライブに、Blue Birdsとして出てお話させてもらったとき、久しぶりに、人前に出た。本当に久しぶりだったと思う。

舞台というものに出たことが、久しぶりの感覚だった。

なんだか、どきどきした。忘れかけていた高揚感のようなものが、自分の体に蘇ってきたような気がした。

あがり症で、心臓どきどき、手汗ぐしょぐしょ、のくせに、人に何かを伝えるということ、表現するということを、自分は求めているのかもしれない、と思った。


大学院で、前期TAをさせてもらった授業の先生が、授業で紹介していた詩。私の好きな詩。



自分の感受性くらい


ぱさぱさに乾いてゆく心を

ひとのせいにはするな

みずから水やりを怠っておいて



気難しくなってきたのを

友人のせいにはするな

しなやかさを失ったのはどちらなのか



苛立つのを

近親のせいにはするな

なにもかも下手だったのはわたくし



初心消えかかるのを

暮しのせいにはするな

そもそもが ひよわな志にすぎなかった



駄目なことの一切を

時代のせいにはするな

わずかに光る尊厳の放棄



自分の感受性くらい

自分で守れ

ばかものよ


(水内喜久雄選・著『茨木のり子詩集 落ちこぼれ』理論社、2004より)



すてき。

自分が、正しいと感じること、心地よいと感じること、何かおかしいと感じること。

そういう感受性を、自分で守っていくんだ。

2009年8月27日木曜日

平和について、いろいろ思うこと

あたしは世界の平和にどうやって貢献できるのだろうか。

世界が平和になってほしい。


夢は世界平和って、けっこう耳にするフレーズかもしれないけれど、

それって、すごい壮大な夢だと思う。


「世界平和」って何だろう??

どんな状態なんだろう??


人類は今までそれを達成したことはないのか。

それとも、そんなことはないのだろうか。

パックスロマーナは平和だったの?

でもあの時代には奴隷という存在がいて、彼らには現代における人権という概念は適用されなかったはずだ。

平和って、なんだ?


ある価値観からみて酷な状況にいる人間だって、別の価値観、本人からしたら別にそんなことはないかもしれない。

「解放」という大義は「侵略」のすり替えだということも、大いにありうる。


世界は、相対的に、平和に近づいているのだろうか。


1960年代、旧植民地諸国が次々と独立を果たし、公民権運動が起こり、かつて人間と見なされなかった人びとが、人間として認められるようになり、人権という概念の範疇が広がっていったという歴史。学部の国際法の授業で、よく言われていたこと。

けれど、やっぱりまだまだだ。


あたしは何ができるのか。


ひとでも、風景でも、光景でも、美しいものを知っているからこそ、

世界が平和になってほしい。




その一方で、物事はいつも、相反するものを含んでいるということを、あたしは知っている。

だけど、それは必ずしも矛盾を意味しない、とあたしは思っている。

物事に含まれる相反する性質さえも、全て包容することが、求められるのかもしれない、と思う。

だけれど、それはすごく、難しいなあ。それは、とてつもなく、広い広いこころだ。





あとは、「信頼」

究極的には、「信頼」だと思う。


「信頼」だけだと思うのだ。

2009年8月18日火曜日

根無し草

あたしは一生根無し草なんだろうか、と思うと、ときどきどうしようもない孤独感に苛まれる。

コミュニティーが崩壊して、人と人との関係が希薄になった現代、あたしと同じような感覚を持つひとは意外と多いのではないかと、思う。

一昨年、あたしの祖父母の中で唯一存命であった母方のおばあちゃんが亡くなって、あたしの根無し草感はすごく高まった。
脳梗塞で倒れて入退院やホーム通いをするようになるまでは、近くに住んでいたおばあちゃん。

おばあちゃんがいなくなったことで、あたしの中にあった大きな柱のようなものがなくなって、ときどき空虚な感覚が襲ってくるようになった気がする。
あたしは一人で、死ぬのも一人で、孤独なんだという、感覚。

おばあちゃんは自分にとって、絶対的な存在だったのだ、と思った。
心から信頼できる人。
無条件に自分を受け入れてくれる人。


おばあちゃんの死は、ある程度の年齢になって、初めて実感した人の死というものだった。



柱は大きかったのだ。


今、あたしの心の中の安息は、どこか欠けている気がする。

おばあちゃんに、きちんと恩返ししただろうか。
そんなことを考えると、自信がない。

心の中で、思うしかない。
ありがとう、と言うしかない。

人の存在とは、それだけ大きいのだろう。



おばあちゃんは、親とはまた違う気がする。

長い人生経験を重ねた人の持つ達観があるし、
何の利害もなく無条件に受け入れてくれる存在に思えた。
まあ、ただ親と違って、怒られなかった、ということもあるかもしれないけれど。


あたしは何で「根無し草感」を抱いているのだろう。

家族はちゃんといるけれど、確かに親戚はそんなに多くないし、そんなに頻繁にも会わない。


根無し草の孤独感は、きっと解消されるものではない。そんな気がする。


根無し草は根無し草なりに、
自分でどこかに場所を見つけて、
ちゃんと根を張って生きていかないといけないのだろう。

今は綿毛か何かのごとく、
浮遊しているのがあたしなんだ。



孤独とはうまく付き合いたい。


歳をとること、死を迎えること。

そういう宿命と表裏一体の、生。


人間は孤独だけれど、同じ孤独を背負った多くの他者の生と触れ合って、
泣いたり笑ったり感動したりしながら、
一生を過ごしていくんだろうな。


あたしは、どんな道を歩むのだろう。

根無し草の孤独感も
人と触れ合っている間は
しばし忘れることができる気がする。

自分にある冷酷な部分もわかっているつもりだけれど、
それでも
触れ合う人を大切にする努力をしたい。

その力量を、つけられるようにしたい。

2009年8月13日木曜日

わだつみのこえ―8・15イベント

『きけ わだつみのこえ』という本がある。
第二次世界大戦で、学徒兵として動員された学生たちの手記や遺稿が掲載された本だ。
学徒出陣で動員された学生たちは、今の私と同じくらいの年齢の方が圧倒的に多い。
学問への志、家族や愛する人への思い、自由な思想。そういう様々な思いを抱きながら、戦闘や、戦地で患った病で亡くなっていった無数の人びと。


学部生のときからBlue Birdsがお世話になっている先生の発案で、「世代間対話」という企画が都内大学の教室で行われたのは去年の10月。
ベトナム戦争に反対した大規模な市民運動である「ベトナムに平和を!市民連合(ベ平連)」を率先していた世代の人びとと、20代の学生である私たちが、世代を超えて対話しようという企画であった。

その中のおひとりは、学徒兵の手記の保存や戦争体験の継承を行い、戦没学生の遺志を伝え、あのような戦争を二度と繰り返さないための活動を行っている「わだつみ会」の中心的な方である。

そのつながりから、私を含めたBlue Birdsメンバーは、本郷にある「わだつみのこえ記念館」を紹介していただき、戦没学生の実物の手記を拝見させていただいたり、さまざまなイベントにお誘いいただいてた。

今日は、そのわだつみ会主催の、終戦の日を前にした「今もつづく戦争」と題したイベントに出向いた。


太平洋戦争に関するドキュメンタリー映像や、戦争体験者の方の証言映像を見た。


とても色々なことが、頭の中を巡った。

64年前、ひとつの国家の軍部は、燃料不足や食糧不足の事実から目をそらし、戦局が明らかに傾いていく中でも、「精神力」なるもので戦争を完遂させることを主張していた。戦闘のさなかにいる人びとや、巻き込まれる一般市民のことを、一時でも考えたことはなかったのだろうか。冷静さも正気も、何も感じられない。

戦闘を行った国どうしの人と人の間の憎しみや恨み、憎悪の感情と、たくさんの犠牲者。それだけが後に残る。それが戦争だと思う。

「勝ちたい」「打ち負かしたい」
そのような欲望が国家全体を包みこむということ。その恐怖を感じると同時に、人間ひとりひとりにも、そのような感情があるということを再認識させられて、はっとする。
その感情がひとの精神を占領したとき、人間は狂気になる。そして戦場では、ひとは狂気になるしかないのかもしれない。

そうなる前に、考えたい。気づきたい。大きな大きな流れが出来上がり、その流れに逆らうことが不可能になってしまう前に。


少年兵として志願、お兄さんを潜水艦の特攻で亡くされ、終戦後はシベリアに抑留された経験を持つ方と、特攻隊に指名され、訓練を受け、出撃直前に終戦を迎えた方など、戦争体験者の方々に直接会場でお話をお伺いすることができた。


軍隊に入ることを夢見ていた少年たちがいたということを知る。

一週間終戦が遅れていたら、今生きていないとおっしゃった、特攻の訓練を受けた方のお話。

シベリアで命からがら生き残って帰国した後も、差別などに苦しんだ経験を語られた、元少年兵の方。

まさかそんな経験をされているなんて、言われなければわからないような笑顔を向けて下さりながら、私たち何も知らない学生へお話して下さった。

戦争体験をした方がたは、もうご高齢である。

私は、祖父も祖母ももう亡くなってしまったこともあり、そのようなお話を今日直接お聞きできたことは、とても貴重な経験だった。

繰り返さないために、気づくことができるように、知らなければいけないことがあると思う。
戦争に至るまでのこと、アジアの国ぐにで日本が行ってきたこと、今も眠る戦没者の亡骸のこと、戦争が人びとに遺したさまざまな爪痕のこと。今も世界で、起こっていること。


知り続け、考え続けること。私が今できることは、そうしてそれを少しだけでも誰かに伝えていくことなのかもしれない。