2010年1月31日日曜日

ロマン

養老孟司さんは、すてきなおじいちゃんだと思う。

前『いちばん大事なこと―養老教授の環境論』という新書を読んだ。

へー!!!と思った。ほんとに。
もう、なんというか、真理だよねこれ、と思った。ほんとに。
なんてスマートに、そうだということを表現してくれるのでしょう。


そして今日、養老さんが毎日新聞に江戸時代を舞台にした小説の書評を書いてた。(毎日新聞は毎週日曜に新刊の書評の記事があって、結構面白い)

この書評が、またいい。

何がいいって、
養老さんいわく小説の良さは、
「ロマン」だそうで。

その「ロマン」てことばの使い方が良かった!


嗚呼、「ロマン」て

普段、真面目に口にすることってないし、何か、すこーし、気恥かしい感じがしなくもないけど、でも、良いことばだよなあ~。

だって、良く考えたら、「ロマン」がなかったら、世の中ってつまらなそうじゃん。

ロマンて、良い響きだな~。養老さんのおかげで見直した。もう「きゅん」です、「きゅん」W


養老さんは、現代にはロマンが足りんと、そう思っているらしい。

ロマンて、ローマから来たのかな。語源。roman?

何で夢見てる人はロマンチストとかって、言うようになったんだろう。ローマ人てドリーマーだったのかな。

浪漫は当て字だろうな。でもこれもちょっと粋ね。


兎にも角にも、ロマンて、いいね。

お兄ちゃんもおねえちゃんも、クールなふりしてないで、ロマン、見直そうぜ。

2010年1月25日月曜日

根源

世界に憤りを感じてた。

TVとかで戦争とか貧困とか、そういう「途上国」の状況を見て、何で自分の今いるこの環境と、こんなにも違う世界が、同じ地球上に存在してるのか疑問だった。

どうしてだろう。何でだろう。

それが知りたかった。


よくよく色んなことを見てみたら、

もともとは豊かな先進国が作り出したものだと思った。そして、人間の欲。

しかも、

「途上国」という場所のひとびとは必ずしも

「助けてあげるべき」かわいそうな人ではなかった。


むしろ、

日本のように豊かな国の中に

本当に色んな問題があることが、わかった。


こころの問題。たくさんの孤独。


色んな場合があるけれど、

ときに 「途上国」と呼ばれる場所の人たちの方が

生きる力に長けている。

そして

「幸せ」なんじゃないか。


そんな風にも思うようになった。


私は


何かしたい、どうにかしたい

と思っていた自分の浅はかさを知った。


そして、


本当は


誰かの「役に立つ」ことで

自分の生きてる意味を感じたかった。

必要とされている人間だって、感じたかった。

本当は、ただそれだけだったんだと思う。


「そこ」にしか

自分の居場所はないんじゃないかって

思ってた。


世界に取り残された人たちと
社会に取り残されそうだと思いこんでいる自分を、
重ねて考えていたのかもしれない。


漠然と

国際協力したい、と思っていたけれど

救われたいのは自分の方だった。


そして、今

私は自分の周りの人さえ

大切にできてないではないか。


大きな、大きなことを考えすぎていたんだと思う。


私の生きているうちに、世界ががらりと転換することはないだろう。

そんな単純なことに、やっと気づいた。


少しずつ少しずつしか、物事は進まない。


私はつっぱっていた。

お金も物も食べ物もあふれていて、

何ひとつ不自由なく見える日本。

だけど、どこか居心地の悪い喧噪。皆が右にならえ、みたいな、感じ。

世の中を斜めに見ていた。

大切なものを、この国の人たちは忘れてしまったんだ、とか

そんなことを思ってた。


私はそんなことを考える自分が好きじゃなかった。

どこかずれてる自分が嫌だった。

溶け込みたくて、もがいてた。

周りの空気を気にするくせはいつからか。

ずれないためにびくびくしてた。

そんなくそチキンやろうだった。


小さいときに連れていかれた海外も

地元の小さな世界で、友達と遊んでいる方がよっぽど楽しい、と思っていた。

というか、

周りの友だちと話が合わなくなっていくのが嫌だった。


私には

いつも心のどこかに冷めた自分がいた。



そんな自分とは、

もうさよならしたい。



バランスをとりながら、


大切な人を

大切にする。


そんな普通のことを、普通にやる。


それでいいのだ。

それがいいのだ。


確かに私は変だけど

その変な自分のことを認めてあげなきゃ

大切なひとたちのことも

ちゃんと愛せないと思うから。


苦しいこと、自分の駄目なところを

ちゃんと正面から受け止めて、

ちょっとずつ、前に進もう。

つぶやき

泣いたらすっきりした。


駄目な自分が情けない。不甲斐ない。



ばかやろー

2010年1月5日火曜日

USO

嘘をついてるときって、

ほかの誰でもなく、

自分が一番よくわかってるはずなんだ。

体やこころが、もやもやを感じ取る。

でも、そのうち、そういう自分の体やこころの反応を、ぐぐっと抑え込み、

知らんぷりしてしまうことも、人間はできちゃう。

あー
そんなの嫌だ嫌だ。

自分に誠実であることは

人に誠実であることだと

あたしは思うんだ。

2010年1月4日月曜日

人との出会いとつながり

今日、年賀状が届いてた。

友だち二人からと、去年、仙台で行われた「開発教育全国研究会」で、知りあった方。

不義理で無精な私は、今年、一枚も年賀状を書いていないのであった。

手書きで頑張って年賀状を書いていたのは、いつのころまでだったか。

近所に住んでいた私のおばあちゃんには、毎年書いていた。

おばあちゃんは、一昨年の11月に亡くなったから、その年は喪中で…そう、今年は誰にも書いていない。

ありがたいなあ、遅くなってもお返事しよう、と思いつつ、ちらと見た、友だち二人以外の方の名前。全研で知り合った方は、はじめ、名前を見て、ええと…どなただっけ…と思った。

色鉛筆で書かれた文字。

あ!と思った。

その方は、開発教育のあるセッションで、同じ班になった方で、名刺交換させてもらった方だった。
自作の絵本でワークショップ等の活動を行っているとおっしゃっていて、名刺も素敵なデザインだった。そして、独特の空気を持っている方だった。

私の名刺を渡したときも、「異文化コミュニケーションて、文化人類学とかも、関係あるのですか」といったようなことをたずねられたので、そのセッションの時間が長かったわけではないけれど、印象に残っていた。

全研から帰った後、名刺に書いてあったHPを見て、絵本のコンセプトや、その絵の感じにすごく惹かれ、HP内にあるブログにコメントさせてもらったところ、その後わざわざメールを下さったのだった。

年賀状まで送って下さるなんて、びっくりした。


人との出会いを、私は何だか、大切にできていないなあ、と思うことが多い。

本当は、人との出会い、人とのつながりをもっと大切にしたい。

でも、自分の弱さ、臆病さ、感情の凸凹、そういう色んなことで、人との出会い、つながりを、大切にできないことがある。

自分に自信がなくて、「自分なんて」と思ったり、自分にも他者にも疑心暗鬼になったり、変に遠慮したり、私の克服したい「シャイさ」が災いして、結局、人との出会いやつながりを大事にできないことがある。



でも、こんな風に、あんなほんの少しの時間での出会いでも、それを覚えていて手紙をくれる人がいるのだ。


人を信頼して、自分を信頼して、人との出会い、つながりを
大切に生きれるようになりたい。

常々、そんな風に思う。

2010年1月2日土曜日

2010はじまった

2010年、明けましておめでとうございます。

「2010」って、すごい未来だと思ってた。
字面からして未来感満々じゃ、と思っていたら、
川上未映子さんのブログに同じようなこと書いてあってびっくりした。

何はともあれ、アレっという間に、今年は年女です。だから何だというわけではないのですが…。寅ちゃんのように強くなりたいな、人間的に。

2009年は、正直、迷走していたと思う。
苦しいことが、多かった。
否が応でも、自分てものに向き合うこととなった。今でも、まだそれは終わっていない。
今までの人生で一番というくらい。
客観的に自分を見るということの、辛さを痛感した。
それでも、仕切り直して
新しい年は気持ちを新たに、またがんばろうと思う。



今年の目標、バランス感覚、と書きましたが、思いつきで付け足します。

「be simple & be creative」

シンプルに、創造的に。


難しくない、難しくない~と

自分の心に暗示をかける。


考えすぎることは、私の悪い癖だと思ってるので、

自分の感性に正直に、シンプルに、生きたい。

シンプルであることは自然であることと、ほぼ同義かなあと思う。


突き抜けよ。