あたしは負けず嫌いなのかもしれない、と最近思う。
かっこ良く、きらきらしながら生きている人を見ると、羨ましい。自分はダメだ、もっともっと頑張って楽しいことを見つけてかっこ良く生きなければいけない、負けてられないわ、と思ってしまう。でも、何に対して突っ走るのかという肝心の部分が、ゆらゆらぐらぐらしているあたしは、焦るばかりだ。
ものを伝えるためのスキルと、現場経験積むぞーと思って応募したNGOのインターン、返事なかなか来ないなあと思って首を長くして待っていたのだが、落ちた。あーあ。面接ぐだってたし、仕方ないよ、と思いつつ、
くっそー、負けてたまるかあー(何に???笑)、次じゃ次ぃ~!と思う。
その反面、少々焦り。
早く行動したくて、どうしよう、どうしよう、と思う毎日。
修論のテーマ、卒業後の進路、自分の行く末…課題は山積み。
やりたいことも、たくさんあるけれど、取捨選択をうまくやらないと、人間関係も、自分の心も、ぐだぐだになってしまうことはわかっている。
どうしてあたしは、色んなことに興味を抱き、色んなことを考えちゃうんだろう…。ときどき自分がすごく嫌になる。
欲張りで密かに負けず嫌いという厄介者のあたしは、雑念を捨てて、楽しくかっこよく自分の道をゆく人生を送ることができるんだろうか。
何でもそうだけれど、まずは下積み。そう、下積みが大事ですね。それから、根気…
忍耐強く、我慢強く、根気よく、気長にやっていく能力を育てたいです。
2009年10月11日日曜日
くりかえし、くりかえし
あたしが優しかったころ。
あたしが小さかったころ。
あたしは大きくなるにつれて、
自分のことを防御するために、
色々な人を傷つけるようになっていった。
あたしはそのことを自覚し、反省し、人を傷つけまいとするけれども、
日々の生活の中で、やっぱり人を傷つけてしまうことがある。
人は弱いんだなあ。だから繰り返してしまうんだ。
だから、何度も何度も自分を戒め、考えなおして、
繰り返し繰り返し、自分を強くする術を身につける努力をしていかないといけないんだ、と思う。
これは、終わりなき探究だ。
人生が続く限り、続いていく。
人は、忘れる生き物だ。
だから、ときどき掘り起こして、忘れちゃだめだぞ、と戒めなければいけない。
息絶えるまで休むことなく、続いていく歩み。
置いて、忘れて、思いだして、でも後戻りはできなくて。
そうやって、続いていく。
止まることなく、進まなければならない。
苦しくても、悲しくても、周りが見えないくらい夢中なときも、焦って方向がわからなくなっても、ゆったりとして穏やかな気持ちのときも。
あたしは、自由が好きで、自分本位で、勝手な人間だと思う。
だから、あっちへこっちへふらふらしながら、気まぐれな人生を送るような、そんな気がしている。
そんなだから、人の記憶には、あまり残らず、そんな人もいたよな、くらいの感じなのかな、と思う。
でも、それならそれで、あたしは良いのだ。
ただ、人を傷つけたくない、という気持ちだけは、いつも懐に入れて、生きたい。
この世界が愛おしく、人間が愛おしい。だからこそ、温かい世の中をつくるために、何か自分が貢献できることを、やっていきたいと、思っている。
まずは周りの人びとを、傷つけない努力から始めよう。
あたしが小さかったころ。
あたしは大きくなるにつれて、
自分のことを防御するために、
色々な人を傷つけるようになっていった。
あたしはそのことを自覚し、反省し、人を傷つけまいとするけれども、
日々の生活の中で、やっぱり人を傷つけてしまうことがある。
人は弱いんだなあ。だから繰り返してしまうんだ。
だから、何度も何度も自分を戒め、考えなおして、
繰り返し繰り返し、自分を強くする術を身につける努力をしていかないといけないんだ、と思う。
これは、終わりなき探究だ。
人生が続く限り、続いていく。
人は、忘れる生き物だ。
だから、ときどき掘り起こして、忘れちゃだめだぞ、と戒めなければいけない。
息絶えるまで休むことなく、続いていく歩み。
置いて、忘れて、思いだして、でも後戻りはできなくて。
そうやって、続いていく。
止まることなく、進まなければならない。
苦しくても、悲しくても、周りが見えないくらい夢中なときも、焦って方向がわからなくなっても、ゆったりとして穏やかな気持ちのときも。
あたしは、自由が好きで、自分本位で、勝手な人間だと思う。
だから、あっちへこっちへふらふらしながら、気まぐれな人生を送るような、そんな気がしている。
そんなだから、人の記憶には、あまり残らず、そんな人もいたよな、くらいの感じなのかな、と思う。
でも、それならそれで、あたしは良いのだ。
ただ、人を傷つけたくない、という気持ちだけは、いつも懐に入れて、生きたい。
この世界が愛おしく、人間が愛おしい。だからこそ、温かい世の中をつくるために、何か自分が貢献できることを、やっていきたいと、思っている。
まずは周りの人びとを、傷つけない努力から始めよう。
2009年10月7日水曜日
Modern Society
自分への不信、他人への不信、猜疑心、恨みや妬み、憎しみ、侮蔑や差別。
物質的に豊かな国を襲っている、病。
競争という価値が根幹にある社会の、病。
人のつながりが希薄になって、そこらじゅうに蔓延してしまった、病。
ひとのことを信じたいだけ。
誰かの役に立ちたいだけ。
支え合って生きたいだけ。
愛したいだけ。
普通のことを、普通に言うことは、罪でしょうか。
時間は、お金のために、存在するのでしょうか。
おかしいことは、おかしいでしょ。
心が病むのは、弱いからじゃない。
心が病んだって、当然だよ。
壊れた緻密な英知は、失われた知恵は、取り戻すことが困難で。
だから、怒りを鎮めて、新しく、つくるしかないんだ。
新しい希望を、はやく。
また、明日が来る。
物質的に豊かな国を襲っている、病。
競争という価値が根幹にある社会の、病。
人のつながりが希薄になって、そこらじゅうに蔓延してしまった、病。
ひとのことを信じたいだけ。
誰かの役に立ちたいだけ。
支え合って生きたいだけ。
愛したいだけ。
普通のことを、普通に言うことは、罪でしょうか。
時間は、お金のために、存在するのでしょうか。
おかしいことは、おかしいでしょ。
心が病むのは、弱いからじゃない。
心が病んだって、当然だよ。
壊れた緻密な英知は、失われた知恵は、取り戻すことが困難で。
だから、怒りを鎮めて、新しく、つくるしかないんだ。
新しい希望を、はやく。
また、明日が来る。
2009年10月2日金曜日
何が言いたいのかわからないけれど考えた。
持続可能な社会って??
そのためにできることって??
そんなことを、ぐるぐる考えさせられた二日間。
10月1日、2日と、国連大学で「ESDの10年・地球市民会議2009」というシンポジウムの運営ボランティアをした。シンポジウムを主催された先生方の院生である私たちはボラのお仕事をしながら各講演を聞いた。
Education for Sustainable Development:ESDについて考えるとき、いつも思うのは、環境的な視点から見た持続可能性とは何なのか、ということ。
これは非常に難しい問であると思うけれど、言えることは、このままでは本当に環境は危ないということだと思う。地球温暖化は嘘だとかそのような説も巷にあるけれど、私が今受講しているT先生の授業では、IPCCの予測でさえ、まだ甘く見積もっているという程、温暖化は深刻に進んでいるということ。
市民からの政策提言を考えるというテーマを掲げたセッションがあった。
都市で生活していると、一体どうすれば環境に負荷をかけない暮らしに近づけるのか、ということが、構造が複雑すぎるが故によくわからない。水や電気を節約するに越したことはないだろうけれど、ごみの処理は、細かく分別した方が良いのか、それともそうではないのか。何がCO2を減らすのか、何が環境にとって良いのか、ということは考えだすと複雑でよくわからなくなってくる。緻密な計算を行っていけば、それは明らかになることなのだろうが。
「環境の政策提言」ということを自分の生活からリアルに考えてみると、自分には専門的な知識がないため提言にまでいかないという、単純明快な事実に気づくのだった。
CO2は25%削減という目標が掲げられたが、それを達成するために私たちの暮らしはどのように変化していくべきなのか。
それを一刻でも早く知って社会変革していかないと、本当に、ほんとに東京沈むと思う。
セッションの中で、日本は政策提言を行うNGO/NPOへの助成をきちんと行うべきだ、という話があった。
それには納得した。適確な提言を行うことができるような専門性と志を持った市民団体が社会の在り方を変えていくのだろうと思う。
院生である自分の立場をそれに重ね合わせ、社会的意義の高い研究とは政策提言を行うことのできるくらいある分野の専門性をつけることではないか、と本当に恥ずかしながら今さらすごく合点した。それは環境分野に限らない。この世界には、「持続可能ではない」社会を現存させているさまざまな問題がある。
様々な問題を知る度、絶望的な気持ちになるけれど、教育に関して言えば、今まで主流とされてきた教育の方法は転換を迫られている、という認識は、拡がっているようだ。
と、色々と書いてみましたが、
やっぱりあたしには何ができるのだろうって、模索に模索、をしています。
あ、そうそう…
国連大学の中って、すごく綺麗なのです。
掃除が行き届いていて、イスはふかふかしてて。特に5階の会議室みたいなとこのイス。
(そいで、豆情報ですが、自販機で売ってるのは、あの1ℓfor 10ℓのお水オンリーなんですよ。)
一日目の休み時間、外に「Free Burma(ビルマに自由を)」の横断幕を持った人たちが立っていました。
国連大学の向かい側には、通いなれた、あたしの学部の大学があります。だから、そういう人たちがいるのを、学部時代何度か目にしたことがあります。
彼らの主張が、どんなものか、お話したわけじゃないから詳しくはわからないけれど、ビルマはミャンマーであり、軍事政権であり、日本のジャーナリストの長井さんという方が亡くなられたところであり、サイクロンでたくさんの被害を受けた場所でもあり……
あたしって、ホント何が書きたいのか、何が主張したいのか、途中でよくわからなくなってくるのですが、
何だろう。
とにかく、動き出さなければいけない、この世界に働きかける人間にならなければいけないって、そう、思います。
色んな真実が、同時に存在している、この世界。
今、ここで、生暖かい日本で、キーボードをカタカタ言わせている自分も真実で、
言論の自由を奪われ、監視の目に怯えながら暮らしている人がいるのも真実で、
氷河や氷山がどんどん溶けているのも真実。
ほんと、矛盾だらけです、この世界。
意図せずして、私の発することばや行動や存在が、誰かを傷つけてしまっている、と思って、ときどき、すごく悲しくて、どうしようもなくて、罪の意識みたいなものに捕らわれることがある。
望むのは、「平和な世界」とか言ってたり、思ってたりするくせに、自分という存在がそれを阻害しているじゃないか、と思うことがある。
「平和」や「暴力」ということを考え出すと、とめどなくわけがわからないけれど、
あたしはまだ、それに拘泥していきたい、と
世の中の矛盾を知りつつ、そう、思っている。
そのためにできることって??
そんなことを、ぐるぐる考えさせられた二日間。
10月1日、2日と、国連大学で「ESDの10年・地球市民会議2009」というシンポジウムの運営ボランティアをした。シンポジウムを主催された先生方の院生である私たちはボラのお仕事をしながら各講演を聞いた。
Education for Sustainable Development:ESDについて考えるとき、いつも思うのは、環境的な視点から見た持続可能性とは何なのか、ということ。
これは非常に難しい問であると思うけれど、言えることは、このままでは本当に環境は危ないということだと思う。地球温暖化は嘘だとかそのような説も巷にあるけれど、私が今受講しているT先生の授業では、IPCCの予測でさえ、まだ甘く見積もっているという程、温暖化は深刻に進んでいるということ。
市民からの政策提言を考えるというテーマを掲げたセッションがあった。
都市で生活していると、一体どうすれば環境に負荷をかけない暮らしに近づけるのか、ということが、構造が複雑すぎるが故によくわからない。水や電気を節約するに越したことはないだろうけれど、ごみの処理は、細かく分別した方が良いのか、それともそうではないのか。何がCO2を減らすのか、何が環境にとって良いのか、ということは考えだすと複雑でよくわからなくなってくる。緻密な計算を行っていけば、それは明らかになることなのだろうが。
「環境の政策提言」ということを自分の生活からリアルに考えてみると、自分には専門的な知識がないため提言にまでいかないという、単純明快な事実に気づくのだった。
CO2は25%削減という目標が掲げられたが、それを達成するために私たちの暮らしはどのように変化していくべきなのか。
それを一刻でも早く知って社会変革していかないと、本当に、ほんとに東京沈むと思う。
セッションの中で、日本は政策提言を行うNGO/NPOへの助成をきちんと行うべきだ、という話があった。
それには納得した。適確な提言を行うことができるような専門性と志を持った市民団体が社会の在り方を変えていくのだろうと思う。
院生である自分の立場をそれに重ね合わせ、社会的意義の高い研究とは政策提言を行うことのできるくらいある分野の専門性をつけることではないか、と本当に恥ずかしながら今さらすごく合点した。それは環境分野に限らない。この世界には、「持続可能ではない」社会を現存させているさまざまな問題がある。
様々な問題を知る度、絶望的な気持ちになるけれど、教育に関して言えば、今まで主流とされてきた教育の方法は転換を迫られている、という認識は、拡がっているようだ。
と、色々と書いてみましたが、
やっぱりあたしには何ができるのだろうって、模索に模索、をしています。
あ、そうそう…
国連大学の中って、すごく綺麗なのです。
掃除が行き届いていて、イスはふかふかしてて。特に5階の会議室みたいなとこのイス。
(そいで、豆情報ですが、自販機で売ってるのは、あの1ℓfor 10ℓのお水オンリーなんですよ。)
一日目の休み時間、外に「Free Burma(ビルマに自由を)」の横断幕を持った人たちが立っていました。
国連大学の向かい側には、通いなれた、あたしの学部の大学があります。だから、そういう人たちがいるのを、学部時代何度か目にしたことがあります。
彼らの主張が、どんなものか、お話したわけじゃないから詳しくはわからないけれど、ビルマはミャンマーであり、軍事政権であり、日本のジャーナリストの長井さんという方が亡くなられたところであり、サイクロンでたくさんの被害を受けた場所でもあり……
あたしって、ホント何が書きたいのか、何が主張したいのか、途中でよくわからなくなってくるのですが、
何だろう。
とにかく、動き出さなければいけない、この世界に働きかける人間にならなければいけないって、そう、思います。
色んな真実が、同時に存在している、この世界。
今、ここで、生暖かい日本で、キーボードをカタカタ言わせている自分も真実で、
言論の自由を奪われ、監視の目に怯えながら暮らしている人がいるのも真実で、
氷河や氷山がどんどん溶けているのも真実。
ほんと、矛盾だらけです、この世界。
意図せずして、私の発することばや行動や存在が、誰かを傷つけてしまっている、と思って、ときどき、すごく悲しくて、どうしようもなくて、罪の意識みたいなものに捕らわれることがある。
望むのは、「平和な世界」とか言ってたり、思ってたりするくせに、自分という存在がそれを阻害しているじゃないか、と思うことがある。
「平和」や「暴力」ということを考え出すと、とめどなくわけがわからないけれど、
あたしはまだ、それに拘泥していきたい、と
世の中の矛盾を知りつつ、そう、思っている。
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