書こうと思ってたこととは違うけれど、最近なんとなくよく思ってたことを書きます。
小説の面白さって、何だろうと考えることがある。(「小説」の正確の定義はわからないので、イメージの中の小説です。)
私は、思う。
たいてい、小説って、(ジャンルにもよるのかもしれないけれど)登場人物の、ひどく具体的で、個人的なお話だ。日常の中にいる、市井のひととして描かれる、人物。
何を今さらって感じだけれど、それが何より面白いんだ、と思う。
日常の、ほんの些細なできごとや、感情の変化。
あるところのある時間の、ある小話。
私は、そういうものが好きなんだ。
「個人」というものを、クローズアップして、そこに光を当てている。
当たり前だけれど、一人の人間が持っているエピソードって、ものすごい量だ。
ひとりの人間の中にも、一刻一秒単位で見聞きしたこと、考えてること、感じることがあり、それが刻々と変化していくというのだから、人生って、ものすごい波乱万丈で、膨大な物語だ、と思う。
どんなひとの中にも、そういうエピソードが詰まってるって考えると、たとえそれをその人自身が伝えなくても、また、そのひと自身が自分には伝えるようなことなどない、と思っても、伝える手段がなかったとしても、本当に、ひとりひとりの記憶や経験ていうのは、宝だわ、と最近思う。
だって、これまた当たり前だけれど、そのひとりひとりの持つ記憶や経験て、ひとつも同じものはないんだから。
それだけで、もう、すごく面白い。
だから、記憶や経験の量がたくさんある、お年を召した方、自分の祖父母や、親戚のおじいさんやおばあさんがご健在のひとは、
その、エピソードの「宝庫」から、
いろんな宝を「盗んで」ほしいと、思う。
きっと、面白いこととか、ジェネレーションギャップとか、不思議に感じることが、たくさん詰まってると思うから。
私は今修論の進め方に悩んでいるのだけれど、
少し「オーラル・ヒストリー」というものに興味がある。
市井のひとびとの中にあるもの、そこに、これからの社会のヒントを見出すことができたら、いいな、とか。
たとえば、すごく生活の知恵に長けた、村のご老人、とか。
もっともっとその手法についても、いろいろ勉強しなければならないし、調査対象も、どうするのか、きちんと決めないといけないけれど。
小説の面白いところは、何でも自由に表現できることだと思う。
返信削除学生時代、論文や英語のレポートを書くとき、パラグラフ・リーディング(ライティング)って習ったよね。1パラグラフにつき1つのアイディアしか書いてはいけないという決まりだった。これって自分の表現したいことをそのまま表現するのには大変な制約だと思う。
私の場合、1パラグラフにつき最低2つから3つはあるし、その複合体であったりするから、この制約があるととても厳しい。
そういったとき、小説のように文章を書けたら自分の表現したいことを表現したい文脈でかけるからとても魅力的に思う。
ところで、普通の人が人生の中のエピソードを語るとき、それが面白いのか、価値があるものなのかなんて、相手にとってわからないから、語られないことが多いと思う。それが実際に価値があったとしても、あえて語らない人なんて結構いるのではないだろうか。
そういうお話を発掘して、表に出していくことがこれからの社会の潮流となるのではないかと思っているよ。