2009年5月31日日曜日

セヴァン・スズキ 伝説のスピーチ in リオ1992

今日、環境コミュニケーション論の授業で見た映像のひとつ。
1992年のリオサミットでの、セヴァン・スズキによるスピーチ。

2009年5月30日土曜日

宝を抱えたひとびと

書こうと思ってたこととは違うけれど、最近なんとなくよく思ってたことを書きます。



小説の面白さって、何だろうと考えることがある。(「小説」の正確の定義はわからないので、イメージの中の小説です。)

私は、思う。

たいてい、小説って、(ジャンルにもよるのかもしれないけれど)登場人物の、ひどく具体的で、個人的なお話だ。日常の中にいる、市井のひととして描かれる、人物。

何を今さらって感じだけれど、それが何より面白いんだ、と思う。

日常の、ほんの些細なできごとや、感情の変化。
あるところのある時間の、ある小話。

私は、そういうものが好きなんだ。

「個人」というものを、クローズアップして、そこに光を当てている。



当たり前だけれど、一人の人間が持っているエピソードって、ものすごい量だ。

ひとりの人間の中にも、一刻一秒単位で見聞きしたこと、考えてること、感じることがあり、それが刻々と変化していくというのだから、人生って、ものすごい波乱万丈で、膨大な物語だ、と思う。

どんなひとの中にも、そういうエピソードが詰まってるって考えると、たとえそれをその人自身が伝えなくても、また、そのひと自身が自分には伝えるようなことなどない、と思っても、伝える手段がなかったとしても、本当に、ひとりひとりの記憶や経験ていうのは、宝だわ、と最近思う。

だって、これまた当たり前だけれど、そのひとりひとりの持つ記憶や経験て、ひとつも同じものはないんだから。

それだけで、もう、すごく面白い。


だから、記憶や経験の量がたくさんある、お年を召した方、自分の祖父母や、親戚のおじいさんやおばあさんがご健在のひとは、
その、エピソードの「宝庫」から、
いろんな宝を「盗んで」ほしいと、思う。

きっと、面白いこととか、ジェネレーションギャップとか、不思議に感じることが、たくさん詰まってると思うから。



私は今修論の進め方に悩んでいるのだけれど、

少し「オーラル・ヒストリー」というものに興味がある。

市井のひとびとの中にあるもの、そこに、これからの社会のヒントを見出すことができたら、いいな、とか。


たとえば、すごく生活の知恵に長けた、村のご老人、とか。


もっともっとその手法についても、いろいろ勉強しなければならないし、調査対象も、どうするのか、きちんと決めないといけないけれど。

2009年5月29日金曜日

人生の先輩

今、書きたいネタが二つくらいあるから、まずはひとつめ。

いつも自分のことばかり書いてて自意識過剰っぷりがすごいやつだと思われるかもしれないけれど、実際たぶんそうなので仕方ない。笑

最近思ったこと。

私は年上の人と一緒にいるのがけっこう好きかもしれない。

もちろん、同じ年の仲の良い友達と一緒にいるのは楽しい。

でも、何だろう、自分より人生経験の長い人といるときの、安心感のようなもの。

生来人に寄りかかって頼りにして生きる性分だからか。(小賢しい奴だと斜め上の方から自分を見ているもう一人の自分…。)

ずっと、妹、だからか。

自分より人生経験を積んでいる人のお話を聞くのは勉強になる。(当たり前か。)

そして自分は年齢のわりに、少し年寄りじみた、というと語弊があるかもしれないけれど、何かどこか達観しているようなところがある、と思う。20数歳の若者の持つ若々しさとは違う、何か…。

もちろん子どもは好きだし、自分自身が子どもっぽいからこそ、年上のひとと一緒にいるのが好きだと思うのかもしれないけれど。

だから、さまざまな年齢の方々が一緒に勉強する、私の属する大学院は、そういう意味で私にとって魅力的な場所だ。

今までの学校とは違う。

社会人の方々から、密かにいろいろ学ばせていただこう、と思っている。


てか、課題やんなきゃ。
(ちーん)

2009年5月27日水曜日

生まれ故郷

私の目は、海外ばかりに向いていた気がする。

小さい頃から、海外への放浪癖のあった親(特に父)によって、色んな国に連れて行かれた。(敢えて「連れて行かれた」という表現を使うのは、幼かった私の意思とは関係なく、正に「連れて行かれた」と感じたからだ。)

当時は、必ずしもそれが楽しいことや嬉しいこととは思えなかった。地元の友達と、狭い地元の世界で遊んでいる方がよっぽど良いという気持ちもあったし、友達と話が合わなくなるのが、何より嫌だったからだ。「海外に行った」という経験談が、自慢のように思われるのがすごく嫌だった。(ちなみにうちはそんなに高い旅行はしない。)だから友達に海外へ行ったときの話はあまりしなかったし、できなかった。敢えてそういうことは言わず、どちらかというと隠してきた。

でも、私は今になって思う。小さい頃からの、異文化体験は、確実に今の自分のアイデンティティに影響を与えている、と。

日本で見たこともないような美しい自然や動物も見たし、日本では感じたことのなかったような違和感や怖さも感じた。

そんな経験をしてきた私にとって、海外に関心を持つことはごく普通のことであった。

だから、国際協力をしたいと思ったのかもしれないし、いわゆる開発途上国と呼ばれる国々での、持続可能な開発、とは何なのか、興味を持った。

けれど、私は最近思う。

自分は日本のことを何も知らない。

生まれてこの方ずっと東京という都市で育ってきた私は、日本の地方にすら、住んだことがない。

私はごく狭い世界で、ごく狭い「暮らし方」しか、知らないのだ。

「暮らす」というのは、本来もっと時間や労力を費やすはずのことだ、と私は思う。

エネルギー、食糧、全てを地方に供給してもらっている東京という都市の暮らしは、何かがおかしいに決まっている。

「暮らす」ための時間は、「稼ぐ」ための時間に取って代わられている。

そして毎日、プラスチック容器に入った食糧を消費して、大量のごみを出し続けている。



私には、もっと知らなければならないことがたくさんある。



いつか、東京を出ようと思う。

2009年5月25日月曜日

雨とわたし

雨が降る。

裾と靴をすっかりびしょぬれにしながら歩く。

雷鳴。

雨って、うっとおしい。

でも、気持ちが少し落ち着く気がする。

傘をさしても濡れてしまう程の雨脚の中帰ったあとの、この気持ちの落ち着きようは何だろう。

「早く寝ればいいのに。」と心の中で思いながら、キーボードを叩いている。

雷は、観察している分には楽しい。
身近な自然現象だと思う。

爆弾が炸裂したかのような音がした。

そのとき私は自然の脅威を垣間見た気がした。

都市にいる私は、そういう自然の脅威を、普段忘れて生活しているのだ、ということをふと思いだす。



この文章に別に主張はない。

ただとりとめもなくことばを書きたかっただけ。

考えなければいけないこと、毎日変化する様々な社会現象に思うことは色々ある。

でも、今はここにとりとめもないことを書き連ねたい気分だ。


一日の終わりに、自分の頭やこころをすっきりさせるための、作業である。

2009年5月20日水曜日

現場

今日国際NGO発展論という授業で先生がおっしゃったこと、ことばは正確ではないかもしれないけれど以下のような趣旨だった。

「人間は美しくもあり、汚くもある。最後は自分、なのだけれど、愛他精神もある。そのせめぎ合いなんですね。」

結局、「人間て何だろう。」これはどの学問分野にも共通する普遍の問いなのだろうな。

この土日に行った研究科の合宿でも、ディスカッションの中でそういう話が出た。

大学院で勉強している間は、中立の立場でいられる。

何かに加担することなく、考えていられる。

でもあたしは選択しなければならない。
何者かにならないといけないんだ。

それをいつも考えてしまう。

上のことばの先生も、おっしゃっていたことだけれど、
自分の考えを形成するのはやはり「現場」なのだ。

私には、きっと「現場」が必要なんだと思う。

色んな矛盾や疑問が渦巻いていても、自分の目で見、感じたことでないと、自分の考えは作られないし、信じることもできない。


「現場」を見つけ、「現場」に出よう。

社会人の学生と、私のような学部あがりの学生の決定的な違いは、「現場経験」だと思う。

発することばの持つ重みが違う気がする。

今日の授業でも、NGOやNPOの職員をしながら学んでいる学生の方は、問題意識が明確だと思った。

もやもやしている、この頭でっかちな自分が、情けない、と思った。

理屈ばかりを勉強したって、何もわかっていないのだ。

「現場」に出よう。

2009年5月15日金曜日

備忘録

毎日毎日思うことはたくさんある。そんなの当たり前だ。でもひとはどんどん忘却して生きていく生き物だから、あたしはたまにこうやって、備忘録のように、懺悔するかのように、出てくる思いを書きとめておく必要に駆られる。傷つけたひとやもの、ごめんなさい、と言いながら。

あたしは表現しないと生きれない人間みたいだ。

(でもみんな、生きることは表現することだと思う。否応なく。)


「備忘録」のように、と言ったけれど、敬愛するトム・ヨークも、ひとは何かを消して、忘れて生きていくという意味を込めて"The Eraser"というタイトルをソロアルバムにつけたらしい。すごく、分かる気がする。


あたしはここでは論理的な思考をあまりしないようにする。
感性のままに書いてしまう。あたしのことばで、たわいもない、どうでもいいようなことを徒然なるままに。
そうやって帳尻を合わせてなんとかやっているんだ、たぶん。


最近髪を切った。
「ぱっつん」が好き。
「幸福論」のときの椎名林檎は、中学生のあたしへの衝撃だった。なんとなくそれもあっての、「ぱっつん」



自殺者が過去最多となったと、今日の夕刊が報じていた。

この国や世界の行く末を、見守っていられない。見守るなんてだめ。

あたしはどうこの社会と関わっていけるのだろうか。

ただ思うだけじゃなく、ただ憂うだけじゃなく、世界や社会と関わっていきたい。


きよしろうさんが若いひとに夢を持ってほしいって言ってたから持とうと思った。笑

2009年5月11日月曜日

まぎれもないこと

嬉しいという気持ち、もやもやしている気持ち、沈んだ気持ち、違和感。そういうまぎれもない自分の感性を、大事にしたい。

そういう感性にうそをつかないで生きていくことで、誰かに何かを与えられたらうれしい。

抽象的だけれど、うまく言語化できないけれど、そんな風に思う。

とてもシンプルなことだけれど、自分も含めた多くのひとは、油断するとすぐ自分のそういう感性を、隠してしまう。隠してしまえる。

「おかしいな」「変だな」と思いつつ、周りの目とか、何か自分が打撃を受けるのではないかということを気にして、無理やり隠し通してしまう。

それは、実に恐ろしいことでもある。

家族を大切にしたい、友達を大切にしたい、風が気持ちいい、とか、そういうシンプルで、あまりに身近すぎて、あんまり意識もしないし、ことばにしようとも思わないようなたわいもない、些細なこと。

でも、それは、まぎれもなく、自分の感性で信じることができる。

自分の感性を大切にすることを、意識していこう。

それは強くなることと、イコールになるんじゃないかって、思う。

2009年5月4日月曜日

きよしろうさん

もう日付変わっちゃったけど本日三本目の投稿。

忌野清志郎さんが亡くなったと聞いて、ショックだった。

たくさん曲を知っているわけではないけれど、きよしろうさんという人物が、あたしは好きでした。

何歳になっても自分の流儀とか、ロックなスタンスをやり通しているところが、かっこ良いと思ったから。

最近RCサクセションのアルバムを借りたところだったからなおさら、亡くなってしまったのか、、、と思った。

自由を大切にし、体制に染まらないひとだと思う。

かっこいいひとが、また一人この世を去った。


ご冥福をお祈りします。

神さまのはなし

何か、すごいタイトルつけたな~って、思う笑。

「原罪」という、キリスト教の考え方が、あると思います。
ひとは罪を持って生まれてきて、イエスはその罪を購うために十字架にかけられた、という話。

私は、何か宗教を信仰している身ではないけれど、
何だかこの考え方に、自分は近いような気が、ときどきする。

自分は、罪深い存在だ、と。

ひとを傷つけ、踏み台にし、あたしの消費する食物やものによって、どこかのだれかが傷つき、苦しんでいる。

何だか、その思いは、絶対に消えることはない気もする。

けれど、どう生きるべきか、ずっとこれからも考え、悩み続けていくことを、したい。

私は弱い人間だから、ときどき神さまがいればいいのに、なんて思う。

そしたら、ほんの少しは、気が楽になるのかな、とか思う。
その神の基準で行動すれば。

だけど、あたしには今のところ、神さまはいない。

だからあたしは、これからも生まれた意味や、存在意義や、自分というアイデンティティについて、常に考えていくのだろう。

何が最善で、何がいけないのか、常々ずっと、自分の頭で考えていくのだろう。

そのプロセスは終わらないし、終わらせてはいけない、と思う。

Yoyogi park

今日は代々木公園に行きました。

GWで原宿はすごいひと…

代々木公園も、まるで何かの祭りかと思うほど、芝生にひとひと…

でも、緑の木陰が気持ち良かった。

他のひとも、みんなゆるゆるしているように見えた。

変な話だけれど、私は体育座りが好きだ。

体育座りに限らず、何故か、地べたに座っている感覚が好き。

だから、よく家でも地べたに座って本を読んだりする笑

今日も、シートの上で、胡坐かいたり、体育座りなんかをしながら、カラスの行水風景を見たりしていた。

そしたら、気持ち良くて、酒の一杯でもあおりたくなってきた。


まあ、それはよしとして…

代々木公園は、いい。

パンを買っていって、適当なところにシートを敷いて、カラスにパンを狙われまいとしつつ、食べながらぼーっとした。

色んなひとが色んなことを思い思いにして、休日を過ごしていた。

ジャグリングの練習をするひと、縄跳びで遊ぶひと、サッカーボールを池ポチャしちゃって一所懸命とろうと頑張って逆に波がたってボールを遠ざけてしまった子ども。。

どこからか、バグパイプの音も聞こえた。

都会のど真ん中にある、緑の空間。

あたしはあの雰囲気が好きだ。

なんか、色んなものを、吸収してくれているような気がする。あたしの勝手な想像だけれど。

ただ単に、あたしは緑に餓えているのだろうか。

感覚的に、木っていいなあと思う。

ただ、そこにある、というだけで。


今日はもう一本書こうかな。

2009年5月2日土曜日

ことば

~したい、がたくさんある。

やさしくなりたい。

強くなりたい。

ちょっとした私のことばが誰かを傷つけているかもしれない。

口は災いのもと、とはよく言ったものだ、と思う。

ことばは、力を持ってる。良くも悪くも。

ことばは、そのひとであり、ことばはたましいだと思う。

私はもっと、ことばを大事にしなければならない、と思う。

やさしくなることと、強くなること。

それはことばと深く関係していると思う。

強いひとはきっとことばを使うとき、安易には用いない。

自分の素直な気持ちとは相容れないことばを、安易に使わないだろう。

ことばをたたき売りしちゃいけない、と思う。

自分の発したそのことばが、他のひとにとってどんな意味を持つか。

わからなくても、いっぱい考えて、伝わるように試行錯誤すること。

それが大切なんだと思う。